「お前が好きだ」

 顔が赤くなるのを、どうしても止める事ができなかった。正面に立った古泉からはどうやったってバレるだろうとは思いながらも、顔を俯かせて表情を隠す。
 ちらりとその表情を窺えば、古泉は一瞬きょとんとした顔をしてから、ゆったりとした動きで視線を窓際に向けた。パソコンを弄っている振りをしている団長席からはキーボードの音もマウスの音も聞こえて来る事はなく、朝比奈さんはあからさまにおたおたとこちらを窺っているし、さっきまで規則的に響いていた本のページを捲る音までもが止んでいる。
 そうして一巡させた視線を戻した古泉は、ふわりと花が開くような笑顔を浮かべて、こう言った。

「ありがとうございます。僕もあなたの事が大好きですよ」





「あーっもう、やっぱり古泉君にはこの手は通用しなかったわね!」

 静寂を破ったのはやはりというか何というか、ハルヒの叫び声だった。

「こんな古典的な手が通用すると思う方がおかしいんだ」
「少しくらい驚いたりうろたえたりするかと思ったのよ!なのに顔色一つ変えないんだから!」
「すみません」

 苦笑する古泉に背を向けて、既に定位置となっている席に腰を下ろす。まだ少し顔が熱い。緩めっ放しのネクタイを更に緩めて、シャツの襟を掴んでパタパタと風を送り込んだ。
 今日は4月1日、要するにエイプリルフールだ。
 世間は春休みだというのに新入部員勧誘の打ち合わせを理由に学校に呼び出された俺は───既にここからエイプリルフールは始まっていたのだ───、団長から直々に指令を食らった。
 曰く、古泉に愛の告白をしろと。
 勿論俺はごねた。悪趣味だとか男が男に告白してどうするとか、思いつく限りの理由を挙げて拒否した。
 しかしハルヒは、男同士だから洒落で済むんじゃないの、と事も無げに言ってのけて、更にぐぐっと俺に顔を近づけ、声を潜めた。

「あんたも興味あるんじゃないの?古泉君が驚く姿」

 確かにいつも冷静沈着としか言いようのない古泉が、俺の告白を真に受けて驚いたりうろたえたりする姿には、少し興味があった。驚きはしないまでも、どういう反応をするのだろう、と想像するのは楽しかった。
 だが俺には、嘘で愛の告白なんてものをする訳にはいかない理由があったのだ。

 2週間前、俺は古泉に告白された。
 それこそ冗談や嘘などではない、マジもんの告白だ。
 2人きりの部室で、あの古泉が悲壮感滲む真顔で、好きです、と言った時には、俺の頭には冗談だろとかふざけるなとかそういう言葉は一切浮かんで来なかった。
 そうなのか、と全てに納得がいったような気すらした。
 だがその告白にどう返したらいいのかさっぱり見当もつかず、沈黙を守る俺に、ただ伝えたかっただけなのだと静かに笑って、忘れて下さいという言葉を残して部室を去った。
 それ以来、古泉がその事を口にする事はない。
 忘れて下さいというからには忘れた方がいいのかと、俺も以前と変わらず接するようにした。
 始めの数日はどこか戸惑った風だった古泉もすぐに慣れ、俺たちは何事もなかったかのように春休みだというのに毎日繰り返される団活で顔を合わせていた。

 なのに、これだ。
 幾らなんでも、愛の告白は拙いだろう。冗談とはいえ、いや、冗談だからこそ、そんな無神経な事をしていい筈がない。
 しかし俺の抵抗をハルヒは頑として聞き入れず、こういうのは不意打ちが有効というハルヒの命に従って、他の団員が見守る中、古泉が少し遅れて部室に顔を出すなり───ハルヒが予め集合時間をずらして伝えていたらしい───、愛の告白とやらをする羽目になったのだ。





「いやあ今日は驚きました」
「………そんなに驚いてなかっただろ」

 結局その後すぐに解散の号令がかかり、わざわざこの為だけに呼び出したのかと呆れながらも帰途に着く。
 いつものように女子3人から少し離れた所を並んで歩いていると、古泉が何かを思い出したようにくすりと笑った。

「驚きましたよ。考えてもみて下さい、あの時僕に冷静な判断が出来ていたなら、涼宮さんがそう望むように多少驚いてみせたりできたと思いませんか?」

 ああそういえばこいつは根っからのハルヒ専属イエスマンだった、と思い出しながら、それ以上何も言えなくなって口を噤む。
 冷静な判断ができていたら。
 古泉がそう言うという事は、あの時こいつは冷静さを失っていたという事で。

「………たとえ嘘だとしても、あなたからあの言葉を聞けたのはとても嬉しかったです」
 独り言のような呟きに、言葉を返す事が出来ない。
 その横顔は少し切なげな影を帯びていて、俺は目を逸らした。まともに見ていたら、何かとんでもない事を口走ってしまいそうだ。
 だけどこれだけは言っておかなくてはならない、と思った俺は、脳をフル回転させて言葉を探す。

「…………あれが嘘だったなんて、言ってない」

 確かにハルヒには古泉に愛の告白をしろ、と言われた。だけどそれ以上の事は何も言われていない。言葉を選んだのは俺自身だ。
 俺は古泉と違ってハルヒの命令を聞く義務はない。そんなもの、無視すればいいだけの事だ。たとえその結果あいつが機嫌を損ねて灰色空間が発生しようが、俺の知った事じゃない。そりゃ少しばかりは古泉に悪いな、と思わなくもないが、それだけでハルヒの言う事を何でも聞くと思ったら大間違いだ。
 突き刺さるような横からの視線を感じ、そんなに見るなと殴りつけたい気分を味わう。それでも奴の方は見ずに真っ直ぐ前を睨み付けたまま、必死に言い募った。

「俺は嘘や冗談で、あんな事を言ったりしない」

 何とも言葉足らずだとは思ったが、今の俺にはこれが限界だ。
 これを古泉が信じるかどうかは判らない。なんたって今日はエイプリルフールだ。きっと今日一日、世の中には嘘や冗談が溢れていて、それを信じたり信じなかったり、色んな思惑が錯綜する日だ。
 だけど俺にとっては、嘘や冗談に紛れさせて、本音を漏らせる日でも、ある。普段なら絶対に口に出来ない事でも、今日なら言える。
 一息で言い切ってしまえば、胸のつかえがすっと取れたような気がして、軽く息を吐く。
 暫くの沈黙の後絡んで来た指先には気付かない振りをしながら、ああ結局古泉の驚いた顔を見る事は叶わなかったな、と思った。
[20080401] ◆TEXT ◆TOP