C90新刊「忘却は救いとなるか」オマケSS

 それは鍋パーティーをやるからと誘われ、新羅の家で鍋を囲んでいる時だった。
「そういえば今日、臨也さんも誘ったんですよ」
 隣に座っていた風音が突然そんなことを言い出して、静雄は危うく頬張っていた鶏肉を吹き出すところだった。
 何とか耐え抜き、ちらりと風音を見遣る。だが風音はその視線には気付かず、鍋の中身を取り分けながら向かいの席の新羅ににこにこと話し掛けていた。
「みんなで鍋パーティーやるんですけど来ませんかって。でも断られちゃって」
 突然の爆弾発言に、新羅は眼鏡の奥の瞳を大きく瞠り、一呼吸置いてから隣のセルティに視線を投げる。フルフェイスヘルメット姿のセルティの表情はわからないが、それでもヘルメットの隙間から黒い影が激しく揺れながら漏れ出ていて、相当驚いていると思われた。
 鍋パーティーの会場となっているリビングには人が溢れ返ってざわざわと騒がしく、風音の声は反応を示したこの三人以外には聞こえていないようだ。
「……君は結構やることが大胆だよね」
 苦笑した新羅がこちらに視線を流したが、静雄は食べるのに夢中になっている振りで目を逸らした。たとえコメントを求められたとしても口の中に食べ物が入っている以上、何も言えない。聞こえていない態を装って、ただひたすらに鶏肉を咀嚼する。
「だとしたら新羅兄さんに似たってことですよね!」
 嬉しそうに笑い、風音は言葉を続けた。
「東京から離れた街にいるって言われたんで、じゃあ静雄さんに迎えに行って貰いましょうかって言ったんですけど」
「──ゴホッ、ぐ、ゲホッ」
 憎き仇敵の名前だけでなく自分の名前まで出され、驚きのあまり嚥下に失敗した静雄は、激しく咳き込むはめに陥った。慌てた様子のセルティが手元の牛乳入りのグラスを差し出し、ついでに黒い影を伸ばして背中を擦ってくれる。
「……悪ぃ、もう大丈夫だ」
 牛乳を一気に飲み干してようやく落ち着いた静雄は、聞こえていない振りを諦めて風音の方を向く。大丈夫ですか、と心配そうな表情に悪意などは見受けられない。
「何で俺があいつを迎えに行かなきゃなんねえんだ」
 その名前を聞けば苛立ちが湧くのは条件反射のようなものだ。手の中でステンレスがみしりと軋む。
「だって、その方が早いじゃないですか」
 あっけらかんとそう言われてしまっては、ふざけんじゃねえと怒るのも理不尽な気がして、静雄は口を噤む。だが苛立ちは収まらない。憮然としたまま、悪戯に皿の中の豆腐をつついていた。
「で、臨也は元気だった?」
 妙な空気を払拭しようとしたのか、新羅が明るい声を上げる。はい、と頷いた風音は、ああでも、と僅かに表情を曇らせた。
「もう一度誘っても、やっぱり断られちゃって。鍋嫌いだって言ってましたけど、臨也さん鍋好きですよね?」
 ああ、と曖昧な笑みを浮かべた新羅が、そうかあいつが鍋の誘いを断るほどねえ、と独り言のように──だが確実に静雄に聞こえるように呟く。しかもこれ見よがしにちらちらと視線を寄越しながら、だ。
 ぎろりと強く睨んでやると慌てたように目を逸らすが、それで、と風音に話の先を促すあたり、もしかして死にたいのだろうかと真剣に考えてしまう。
「だからね、私、臨也さんと約束したんです。いつか絶対、兄さんや静雄さんと再会させてあげますからねって」
 ぐしゃ、と手の中でステンレス製のグラスが潰れた。しまった、と思うと同時に、あーあ、と溜息交じりの声が聞こえる。新羅だ。
「……悪ぃ」
 さすがにばつが悪くなってしょんぼりと肩を落とす。新羅はともかく、風音に悪気はない。その風音の発言で人様の家のグラスを破壊するというのはやり過ぎだという自覚はあった。
「まあ、ガラスじゃなくて良かったよね。予備はあるんだ、さっき幽君が届けてくれてさ」
 時間が合えば顔を出すと言っていた幽は、まだ仕事が終わらないようだ。新羅曰く、僕が行くまでの間に兄が壊すかも知れないから、とのメッセージ付きでバイク便が一ダースのステンレス製グラスを持ってきたらしい。  新しいのを持ってくる、とスマートフォンに打ち込んだセルティが席を外して、その場には『約束』の登場人物だけが残された。他の面々は好き勝手に盛り上がっていて、こちらの会話に参加する気配はない。
「それはまた随分と思い切った約束をしたねえ! 臨也は何か言ってた?」
「全力で逃げるからやってみろって言ってました」
「……だってさ。どうする?」
 それまでとは違い、堂々と話を振ってくる新羅はこの状況を面白がっているようだ。おそらく、さっきはセルティがいたから気を遣っていたのだろう。セルティは臨也の話をすると静雄が怒るのではないかと、いつも気を揉んでいるようだから。
 静雄はふん、と鼻を鳴らし、ぶっきらぼうに答えた。
「別に、逃げたいなら逃がしときゃいいだろ。ノミ蟲野郎が池袋に来ねえならいい」
「本当に?」
 意味深な笑顔に意味深な台詞。どういう意味だ、と睨んでも、新羅は笑顔で静雄を見るだけだ。何が言いたいのかわからない。
「じゃあさ、もし臨也が池袋に帰って来たらどうする? やっぱり会った瞬間にぶっ飛ばす?」
 それにはうんざりとした顔を返した。いつまでこの話題を引っ張るつもりだろう。折角の鍋が冷めてしまう。
 当たり前だろ、と言い捨てて再び箸を取った静雄は、だが白菜を掴んだところでぴたりと動きを止めた。
「……いや、ぶっ飛ばす前に、少し話をしてやってもいい」
 ぼそり、そう呟くと、新羅と風音は同時に驚いたような顔をした。さすが父親違いとはいえ兄妹、その表情が少し似ていて、つい笑みを誘われる。
 そこで幾分気分が上向いた静雄は、小さく笑いながら少しだけ種明かしをする。
「あいつには訊きてえことがあるからな」
 それ以上は何も言うつもりはなく、二人を見ないままに白菜を口一杯に頬張った。
           ──本編へ続く──
[20160812] ◆TEXT ◆TOP