彼氏たるもの
俺とシズちゃんは付き合っている。
今までの俺達を知っている人間からすれば、えっ何でどうしてそうなったの、という感じだろうが、俺はなるべくしてこうなったと思っている。
そりゃ俺だって最初は信じられなかった。まずこの俺が、シズちゃんという化け物を好きになったという事実をだ。
それでも好きなんだから仕方ない、と諦めたのが三ヶ月前。それから二ヶ月かけてシズちゃんに猛アタックを繰り返し、最初はいちいちキレては池袋の街を一部壊滅状態にしていたシズちゃんが漸く諦めて、あーもう好きにしろと言ったのが一ヶ月前。
そして俺達は晴れて恋人同士となったわけだ。
でもシズちゃんは俺のことを好きだなんて一言も言っていないわけで、俺としてはそれが不満でもある。
というか実はそんなに好かれていないのかも知れない。ほら、元の関係がアレだし。
だからこの一ヶ月、俺は涙ぐましいまでの努力をしてきた。
俺達は恋人同士、つまり俺はシズちゃんの彼氏なわけだ。
彼氏といったらやっぱり甲斐性ってやつを見せなければならない。
そうすればシズちゃんは俺を見直して、俺に惚れるという算段だ。
ちなみに、俺達の仲はまだちっとも進展していない。セックスどころかキスさえも、いや、手を繋ぐことすらもしていない。純情童貞なシズちゃんはきっと順序というものを大切にするだろうから、シズちゃんが俺に惚れるまでは待つつもりである。
どう、この俺の包容力。彼氏っぽいと思わない?
でもいい加減我慢も限界なので、俺としてはさっさと俺に惚れて貰いたい。
そこで俺は男の甲斐性といえばやはり経済力だろう、とシズちゃんに俺の経済力を見せつけた。
食事は高級料亭、プレゼントは高級ブランド、時にはシズちゃんの部屋を花で飾ってみせた。
それなのにシズちゃんときたら!
まず高級懐石料理に連れて行った時には何でこんなちっちぇえのがちまちま出てくるんだよ、と文句を言った。あっさりと出汁の味が利いた椀物に味が薄いと醤油を掛けた。
ならばとフレンチに連れて行けば、何でこんなごちゃごちゃ飾ってんだよ、何だこの黒いの、ゴミか? とトリュフを避けて食べた。
完全オーダーメイドのスーツをプレゼントしたのに──シズちゃんのサイズは寝ている間に俺が測った──、一度も袖を通さずに相変わらず弟君から貰ったというバーテン服ばかり着ている。
おんぼろアパートの部屋の中を薔薇の花で埋め尽くせば、部屋全体を見渡した後、くせえと思ったらこの匂いか、トイレの中にいるみてえ、と言った。
もう正直、どうすればいいのかわからない。
とりあえずシズちゃんが子供舌だということはわかったので、ここ最近はといえば俺がシズちゃんの食事を作っている。
今日もピッキングでシズちゃんのいない間に部屋に入り込み、カレーを作っているところだ。
牛肉は国産最高級、たまねぎは飴色になるまでじっくり炒めて、ルーはもちろん小麦粉から、こだわりのカレー(甘口)である。
色々試した結果、シズちゃんの好きなメニューはカレーライス(甘口)、ハンバーグ、海老フライだということがわかった。この三品を作った時だけ、ちょっと嬉しそうだったからだ。
子供舌にも程があるだろうと思いつつ、結局カレーを作っている俺っていじらしいと思わない?
実はシズちゃんはククレカレーが好きだったりするんだけど、俺のプライドに懸けてレトルト食品なんて食べさせないつもりだ。
というか、彼氏としての甲斐性を見せるつもりが、何だか女子力を見せているような気がするのは何故だろう。
俺が見せつけたいのは彼氏力なんだよ!
思わず溜息も漏れるというものだ。
それでもシズちゃんに喜んで欲しい俺は、シズちゃんのためにカレーを作る。
最後に牛乳を少し入れて、味見をして完成。後は皿に盛り付けるだけという段階になって、玄関の扉がガチャガチャと動いて大きなダンボール箱を抱えたシズちゃんが帰って来た。
「おかえり、シズちゃん」
「手前また人のいない間に入り込みやがって……鍵掛けてただろうが」
顔を顰めるシズちゃんに、エプロン姿のままひょいと肩を竦めてみせる。ちなみにこのエプロンは当然俺が持ち込んだものだ。
「こんな鍵ヘアピン一本で開くよ。嫌なんだったら合鍵ちょうだい」
「……めんどくせえ」
「じゃあ俺がこうやって入ってくるしかないじゃん。それより何? その箱」
「ああ、今日幽が事務所に送ってきて……」
その言葉に、今度は俺が顔を顰めた。
また弟君だ。
シズちゃんは本当にブラコンで、ちょっと嫌になる。
何よりも資産家な弟君の方が俺よりも経済力があるっていうのが嫌だ。俺の甲斐性はどこで発揮すればいいんだよ!
でも弟君のことで文句でも言おうものならシズちゃんは口をきいてくれなくなるので──既に何回も経験済みだ──、俺は不満をぐっと飲み込んだ。
ほら、こういうところもね? シズちゃんを愛しているがゆえの、俺の男らしさだと思わないの?
ダンボールを床に置いたシズちゃんは、封をしてあるガムテープをびりびりと剥がし、DVDの束を取り出した。
「何のDVD?」
「幽の出てるドラマとか映画とか……再生する機械がねえっつったら、機械も送ってきた」
そう言ったシズちゃんが次に箱から取り出したのは、発泡スチロールで保護された銀色のDVDプレイヤーだった。
そういえば、確かにこの家にはビデオとかDVDとか、そういうものを再生する機械がない。
しまったそっちに金を使うべきだったか、と舌を打ったのは、プレイヤーを包むエアパッキンを剥がすシズちゃんの顔が、とても嬉しそうだったからである。
会心の作だったハンバーグを食べた時よりも嬉しそうだ。
その顔を引き出せなかったことが、すごく悔しい。俺だって頑張っているのに、弟君はこんなにも容易くシズちゃんの笑顔を手に入れることができる。
いそいそとテレビの前にプレイヤーを置くシズちゃんの姿をこれ以上見ているのが嫌になって、俺は台所に戻った。
コンロに火を入れて、カレーの鍋をかき混ぜる。
このカレーもシズちゃんをあれほど喜ばせることはできないのだと思うと、鍋をひっくり返したい気分だ。
「……何だこりゃ」
テレビの前ではシズちゃんが首を捻っている。手に何本ものコードを持って、説明書とにらめっこ中だ。
「シズちゃん、カレーできたよ」
声を掛けても反応しない。
まるで俺なんて存在しないみたいな熱中ぶりに苛立ちが募る。
「ねえちょっとシズちゃん、」
「……おい、手前これ何とかしろ」
ついにはコードを差し出されて、俺はイライラの限界を迎えた。
それくらい自分でやれよ、と思いつつもそう言えないのは惚れた弱味だろうか。
溜息を一つ、それで苛立ちを逃して、シズちゃんの手からコードを奪い取る。
大体何でこれくらいわかんないの? 説明書にシズちゃんみたいな馬鹿でもわかるように書いてあるじゃん。ていうか説明書なんて見なくてもこれくらいわかるでしょ、普通。
ぶつぶつと呟きながらコードを繋げ、ついでにDVDの束から一本を抜き取ってプレイヤーにセットした。
リモコンを操作してDVDを再生すると、十四インチの小さいテレビに「カーミラ才蔵」と表示される。
「はい、できたよ。一時停止ボタンはこれ、巻き戻しはここ、チャプターごとに見たいならこのボタン」
ざっと説明して振り返ると、シズちゃんはぼうっと俺を見ていた。
「…………何?」
「手前、すげえな……」
嫌味かと思えば、シズちゃんは心底感心したような口調で、その瞳は蛍光灯の光を反射してきらきらと輝きながら、うっとりと俺を見つめていて──
え、もしかして今のがシズちゃんのツボ? たかだかDVDプレイヤー繋げただけで?
「……ご飯、できたよ」
「おう」
笑みすら浮かべてカレーの匂いがする、なんて言われたら俺はもう降参するしかなかった。
冬は炬燵にもなるテーブルに皿を並べて、向かい合って座って、二人してカレーを食べながらDVDを見る。
シズちゃんは上機嫌だ。
「うまいな」
「カレーが? それとも弟君の演技が?」
「両方」
そんな風に言われてしまえば、ああ何だかこういうのも悪くないな、と思ってしまうわけで。
今度はシズちゃんのこの部屋をシアタールーム風に改造してやろう、と計画を立てながら、俺は自分の皿から肉の塊を一つ、シズちゃんの皿に移した。