猫キョン

 にゃあ、と彼が鳴いた気がした。

 だがそれが気のせいである事は十分に判っていて、僕は軽く頭を振ってから彼に向き直る。

「何でしょう?」
「なあ、これいつ戻ると思う?」

 ああ彼が言ったのは「なあ」だったのかと、今更ながらに気がついた。当たり前だ。たとえこんな姿をしていても彼はれっきとした人間で、ちゃんと人間の言語を喋っている。だからこそ僕は彼からの電話でこの状況を正確に理解したのだし、実際に目にしても動揺を見せない程度の心の準備をする事が出来た。

「さあ……涼宮さんが飽きた頃、じゃないでしょうか」

 言いながら、もう一度彼の全身をくまなく眺めた。僕の部屋の中央に位置するソファに座る彼の、チョコレート色の髪を掻き分けるようにして、艶やかな毛並みの耳が天に向かって生えている。どう見てもそれは人間の持つものではなく、ジーンズに収まりきらずにふわふわと動く尻尾と合わせて考えるに、恐らく猫のそれだ。
 彼は思っていたより冷静で、コートのフードをすっぽりと被ってこの部屋に来た時こそ不機嫌そうではあったが、今はもう慣れたのか、クッションを抱え、それこそ本物の猫のようにソファの上に寝そべっていた。

「今日が休みだから良かったものの……月曜日になってもこのままだったらどうすりゃいいんだこれ」
「困りましたねえ」
「お前、他人事だと思って適当に返事してないか」

 ぺしり、と彼の尻尾が僕の掌を叩く。自由自在に操れるんだな、と少し感心してその動きを見つめた。右へ、左へ、柔らかな曲線が気ままに揺れる。そして時折、それに呼応するかのように耳がぴくりと動く。
 触れてみたい、と思った時にはもう手が伸びていた。ぴんと立った耳をそっと撫でた瞬間、彼はびくりと肩を竦めて抗議の声を上げる。

「ば、触んな……っ」

 驚いて手を引いたものの、その反応は僕の好奇心を一段と刺激するものでしかなかった。強く睨み付けて来る瞳には気を留めず、短い毛で覆われたそこにふっと息を吹き掛ける。

「…………っ!」

 彼は短く息を呑んで、ぎゅっと目を閉じた。薄く開かれた唇が震え、吐息が零れる。ややして恐る恐る開かれた瞳に、にこりと微笑んでみせた。

「感覚、あるんですね」
「………そりゃ、あるだろ……動くんだし」
「じゃあ、感じたりもするって事ですよね?」

 目を見開いた彼が体を翻して逃げる直前、覆い被さって唇を塞ぐ。
 抗議するように長い尻尾が何度か背中を叩いたが、口付けが深くなる毎にその力は弱まり、最後にはくたりとソファの上に投げ出された。

[20080217] ◆TEXT ◆TOP