神に祈ることのできない僕は
神に祈ることのできない僕は、星に祈りを捧げる。
それは縋る為ではなく、唯一つの。
「古泉」
僕がいるベランダに通ずる開け放たれたままのガラス戸の向こうから、彼がひょいと顔を覗かせた。
「何やってんのお前」
「…………祈りを」
「祈り?」
首を傾げた彼から視線を逸らし、夜空を見上げる。
裸眼で見える星の数は記憶にあるものよりずっと少なくて、それでも煌々と輝くそれは紺碧の空に鏤められている。
「星に、祈りを捧げていたんです」
今日は天気が良かったから、きっと星が綺麗に見えると思って。
そう続けようとした言葉は、いつの間にか隣に立っていた彼が同じ様に空を見上げたので、言う必要がないのだと知れた。
訪れた僅かな沈黙を破ったのは、彼だ。
「祈り、ね……お前の事だからまた世界平和とか言うんじゃねえの」
「いけませんか?」
「別にいけなかないけどな、どうせならもっと自分の事祈れよ」
自分の事。
声に出さず、彼の台詞を反芻する。
自分の事なんて、祈った事がない。いや、そういえば去年の七夕、笹の葉に結び付けた短冊には世界平和と家内安全と書いたか。家内安全とは、僕自身の事ではないだろうか。もっとも、今の僕には守るべき家などないのだけれど。
「世界が平和であるなら、僕としては喜ばしい事なんですが」
僕はその為に戦っている。世界の安定を維持する為に、異能の力を以ってこの世を破滅に導く神人を排除する。
───僕は、その為に存在している。
しかし彼は、わざとらしく溜息を一つ吐いてみせた。
どうやらこの答えはお気に召さなかったらしい。
「じゃああなたは、何を祈りますか?」
その問いがただの好奇心だったのか、何か縋るものを求めてのものだったのかは判らない。
彼はほんの少し首を傾げた後、す、と自然な動作で僕を見上げて、言った。
「……お前の健康」
一瞬言葉を失った僕に罪はない筈だ。
震える唇で、それでも精一杯の強がりを返す。
「……………あなた自身の事じゃないじゃないですか」
「俺の今いちばんの心配事はそれだからだ」
即答した彼は、ふいと背中を向けて部屋の中に戻っていく。
慌ててその後を追うと、彼が振り返って少し笑った。
「まあ、お前の高校生男子としてあるまじき惨憺たる食生活とかそういう方面の健康は俺が何とかするからさ。お前は閉鎖空間で怪我をしませんように、とでも祈っとけ」
それきり彼は興味を失ったかのように僕をその場に残したままガラス戸を閉めた。
ほんの少し残された隙間から微かにテレビの音が聞こえる。彼の好きな番組だ。週末、彼はいつも僕の部屋で、この番組を見る。
もう一度夜空を見上げ、僕はゆっくりと目を閉じた。
神に祈ることのできない僕は、星に祈りを捧げる。
それは縋る為ではなく、唯一つの誓いの言葉だ。
僕に力を。
この世界を、そして大切なあの人を守れるだけの力を。
僕が、彼を悲しませる事がないように。