だからあなたが好きだった/本文7ページ目より抜粋

「なあ静雄、今日ちょっと帰り飲まねえ?」
 静雄は書いていた始末書から顔を上げてトムを見た。
 始末書は今日取立ての仕事の最中に破壊した、道路標識と郵便ポストに関するものである。何かを破壊する度にトムから書くように言われる。始末書とは懲罰の意味を含むものだから、上司に言われて初めて書くものだそうだ。
「いいっすけど……俺これ書かなきゃならないんで、ちっと時間かかりますけど」
「あー、いい、いい、それくらい待ってるからよ」
「わかりました。じゃあすぐ終わらせるんで」
 どうせ始末書なんて毎回同じことを書くだけである。すみませんでした、今後気をつけます、というのをちょっと堅苦しい言葉で書面にすればいいのだ。
 実際これを読む上司のトムも社長も、静雄の二度としませんなんていう言葉は信用していないだろう。
 静雄としてはさすがにやり過ぎた、また社長への借金が増えてしまう、と本当に反省しているからこんな面倒な書類を作ることにも異議を唱えず粛々と始末書を書いているのだが、トムも社長もちゃんと読んでいるのかさえも怪しいものである。
 最後に平和島静雄、と自分の名前を書いて、判子を押す。それを上司のトムに提出すれば、今日の仕事は終わりだ。
「トムさん、これ終わりました」
「おー、お疲れさん」
 新聞を読んでいたトムは静雄が差し出した始末書を受け取り、それに目を通し始める。一通り読んだ後、満足そうに頷いてそれを机の引き出しに仕舞った。
「お前も始末書書くの慣れたよなー。最初の頃は体裁整えんのも一苦労だったってのに」
「まあこれだけ書いてりゃ慣れもしますよ……」
 言いながら少し落ち込んだ静雄の肩をぽんと叩いて、トムはまあ気にすんな、と笑う。
「さー、んじゃ飲みに行こうぜ飲み。どこにすっかなー」
「あれ、トムさんそれ社長に提出しなくていいんすか?」
「社長な、今いねーの。だから本当は明日でもよかったんだけどよ、明日んなったらお前忘れっだろー? こういうのはその日のうちに書くことに意義があるから書かせただけで、社長に提出すんのは明日でいいんだよ」
「そういうものっすか……」
 ふむ、と頷いて静雄はトムが机の上を片付けるのを待っていた。
 お疲れさーん、というトムの声に続けてお疲れっす、と事務所内に声を掛けて、事務所を出る。
 室内だからと外していたサングラスを掛けると、夕焼けが紫色に見えた。
 ゴールデンウイークもとっくに過ぎて日が長くなった今の時期は、仕事が早く終われば空が茜色から紺碧にグラデーションを描いている様を見ることができる。
 もっとも、この時間に仕事を上がれることは滅多にない。
 回収業は一日に幾ら回収できるかが勝負なので、時間の許すぎりぎりまで回収先を回っていることが多いからだ。
 それにどれだけスムーズに回収を終えられるか、という点でも、今日は運がよかった。
 静雄が暴れた分だけ一件辺りの時間を食うのだが、今日は静雄を切れさせたのは一件だけ、郵便ポストの分だけであり、道路標識に関しては絡んできたチンピラを追い払っただけなので無駄な時間はそう取らなかったのだ。
「この時間なら居酒屋空いてそうだな。そこら辺の適当な店でいいか?」
「うっす」
 街頭に立つ客引きからクーポンを貰い、トムの後について店に入った。比較的新しそうな居酒屋は、まだ半分も客が入っていない。
「俺生中ね。お前は?」
「えっと、じゃあカルピスサワーで」
 おしぼりで手を拭きつつ二人でメニューを見て、生ビールとカルピスサワーのジョッキを運んできた店員にトムが適当に注文する。
 こういう時、静雄が口を挟むことはあまりない。
 こうも長い付き合いになるとトムは静雄の好みをわかっていて、静雄が食べられないようなものを注文することは滅多にないからだ。
 静雄が食べられないものを頼む時はトムがそれをどうしても食べたい時で、静雄には無理に勧めたりしないので静雄も箸を伸ばしたりはしない。
 反対に静雄がどうしても食べたいものがある時はちゃんとそれを言うようにしているので、静雄が何も言わなければ特に食べたいものはないということである。
 お疲れ、とジョッキを合わせて、トムがぐびぐびとビールを呷った。ぷはー、と一息、そして付け出しの枝豆を摘みながら片肘をテーブルにつく。
「俺さー」
「はい」
 静雄もジョッキに口をつけながら、トムをちらりと見た。
「振られたんだわ、彼女に」
「え」

[20100731] ◆TOP