ハートのピノは誰のもの?/本文5ページ目より抜粋

 三日前、臨也がいつものように平和島静雄のアパートの鍵をヘアピン一本で開けて中に入り込み、日に焼けた畳の上で携帯電話を弄っていた時のことだ。
 玄関からガチャガチャと鍵を開ける音が聞こえ、静雄が仕事から帰って来た。
「おかえり、シズちゃん」
「また手前は勝手に入りこみやがって……」
 ちっ、と舌打ちしながらサングラスを外した静雄は──どうやら静雄は家に帰るとすぐにサングラスを外すようにしているらしい──、だがそれ以上臨也に怒りを向けることはなく、畳に腰を下ろして手に提げていたコンビニの袋をガサガサと探った。
 中から出てきたのは、赤と白のパッケージに大きく商品名が書かれた、あまりコンビニで売っているようなアイスは食べない臨也でも知っている有名なアイスだ。
「何、シズちゃんピノ好きなの?」
「あー、まあ、好きだけどよ、どっちかってーと好き嫌いっつーよりあれだ、」
 静雄は見かけによらず甘党である。だからアイスの類も好きなのは知っていたが、今年の夏は暑かったせいか、どちらかといえば氷菓類を食べているのを見ることが多かったような気がする。
「トムさんが、ハートのピノ出たら幸せになれるって……」
 静雄が口にした静雄の上司の名前に、臨也は僅かに眉を顰めた。
 田中トムという日本人だか外人だかわからない名前の上司に、静雄が随分と懐いているのは知っている。何でも中学時代の先輩だそうで、臨也のせいでバーテンを首になった静雄を拾って今の仕事を与えてくれたのがトムらしい。
 その辺りの経緯を突っ込むと藪をつついて蛇を出すようなものなのであまり詳しく聞いたことはないが、静雄のトムへの懐きっぷりは尋常じゃない、と思う。
 仕事が同じなのだから当然なのだが、朝から晩までいつもトムと二人で過ごしている癖に、漸く仕事が終わって家に帰り、臨也と二人の時間になっても静雄はトムがどうしたこうしたと、トムの話をする。
 口を開けばトムさんトムさんと、他の男の名前ばかり聞くのは恋人としては面白くない。
 そう、臨也と静雄は付き合っている。つまり、恋人同士なのだ。
 高校時代からの十年来の仇敵が恋人という枠に収まるまでの紆余曲折はそれはもう語り始めれば確実に夜明けを迎えてしまうほどのものだ。
 臨也が静雄のことを恋愛感情で愛していると気付くまでに掛かった時間が約九年、あれは確か去年東北の地で臨也が刺され、運ばれた病院のベッドの上でのことだった。
 それからどうやって静雄に愛の告白をするかに半年悩み、じわじわと周りから攻めていったつもりだったのに相変わらず臨也の予想の範疇を超える行動をする静雄に計画を踏み躙られ、当然想いが伝わることはなく、ええいままよと正面切って好きだと告げたのが三ヶ月前。
 もちろん本気になんてしてもらえなくて、ふざけてんじゃねえぞこのノミ蟲がと真っ赤な顔をした静雄に自動販売機を投げ付けられること二ヶ月半。それでも懲りず、好きだ付き合ってくださいと珍しく下手に出続けた臨也に、勝手にしろと疲れ果てたような顔で静雄が吐き捨てたのが二週間前。
 すなわち付き合い始めてまだ二週間、うきうきと上機嫌で毎日を過ごしていたが、どうにも恋人らしい空気が足りないのではないかと漸く気付いた臨也にとって、トムの名前は忌々しいものでしかない。
 勝手にしろと言われたからこうして毎日静雄の部屋を訪れている、文句は言うが追い出そうとはしない、それを許されるくらいには距離が近付いたと思っているのだが、臨也より余程トムの方が静雄に大事にされている、と思う。
「何? ハートのピノって」
 それでも俺とトムさんのどっちが大事なの、などという愚問を口にしたりしないのが臨也だ。答えなどわかりきっている上に、それを聞いて自分が落ち込むことも容易に想像がつく。下手をすると静雄の機嫌を損ねて、手前とトムさんを比べるんじゃねえよと部屋を追い出されかねない。
 だからしれっとした顔をして静雄に問い掛けたのだが、静雄は聞いているのか聞いていないのか、真面目な顔でビニールの包装を解いている。
「ねえシズちゃんってば」
「黙ってろ」
 一言で切り捨てられて臨也は唇を尖らせる。それでも静雄は臨也のことなど気にも留めず、ベリベリ、と慎重な手付きでパッケージを開けて中を覗きこみ、がくりと肩を落とした。
 中から現れたのは円錐形の先端を切り取ったような形の、焦げ茶色のチョコレートで包まれたアイスが六つ。それら全てが同じ形をしている。
「この中にハートが入ってたら幸せになれるってこと?」
 めげずに問うと、ピックを手に取った静雄がその丸い粒を刺しながらこくりと頷く。
「星の形の願いのピノってのと、ハートの形の幸せのピノってのがあるらしい」
「で、そのハート型が出てくるのを待ってるんだ?」
「星なら出たことがある」
 アイスを口に放り込みながら言う静雄は幾分得意気だ。
 こういうところが可愛くて堪らないんだよねえ、と臨也は思わずへにゃりと顔を緩めて、だが静雄の機嫌を損ねないように、それは凄いねと感心したような口調を取り繕った。
「願いのピノって願いが叶ったりするの? シズちゃん何願ったのさ」
 ランダムにレアな製品を混ぜ込む、最近のお菓子などでよく見られる手法だ。
 何十分の一の確率かは知らないが、そんなことで願いが叶うわけないだろ、と内心では思っているものの、二人きりで過ごせる貴重な時間だ、とにかく静雄の機嫌を損ねたくない臨也はあえて話に乗ってみる。
 ごくりとアイスを飲み込んで、静雄はさも当然のことのように言った。
「んなもん、ハートのピノが出ますようにって願ったに決まってんだろ」
 あーそうだったそうだったこの子馬鹿なんだった、と自分の問いがいかに浅はかだったかを反省しつつ、次はハートが出るといいねえと力なく愛想笑いを返した。

[20101003] ◆TOP