この部屋の鍵を開けて/本文5ページ目より抜粋

 平和島静雄のアパートの鍵を開けるのは簡単だ。
 用意するものはそこら辺で売っているヘアピン一本。それだけでいい。
 築三十年は経っていようかと思われる木造アパート、ピッキング被害の殆どがこれだといわれるディスクシリンダー式の鍵穴にヘアピンを差し込んで、カチャカチャと中を探る。手ごたえを感じたら右に捻ればカチャリと音を立てて鍵が開く。
{  所要時間は約三十秒。
 そろそろこの鍵交換した方がいいんじゃないのと、自分で勝手に開けておきながら思う折原臨也である。
 そういえば、以前静雄が一度空き巣に入られたことがある、と言っていた。
 同じくピッキングの手口で部屋に侵入し、だがあまりにも金目のものがなくて、部屋の中にあるもので一番高そうなものが静雄が大量に弟から贈られたバーテン服で、そこで漸く『あの』平和島静雄の部屋に侵入してしまったということに気付いた空き巣が静雄の報復を恐れて腰を抜かしてしまったところに静雄が帰ってきた、らしい。
 何故静雄がそこまで知っていたかというと、とりあえず静雄に一発ぶん殴られた空き巣が突き出された警察で泣きながらそう語ったということだ。
 犯人はあまりにも怯えているし、顔は腫れ上がって前歯が折れているしで、もう少し手加減してやって下さいとまるで静雄が悪いかのように警官に諭されたとぼやいていた。
 そんなことがあったにも関わらず、めんどくせえし別に盗られて困るもんなんかねえし、という理由で未だに鍵を換えていないのが静雄らしいところだ。
 そんな話を思い出しながら、臨也は勝手に部屋に上がりこみ、敷きっ放しの布団の上に座り込む。
 まだ静雄は帰っていない。いつものことだ、比較的時間が自由になる情報屋という仕事をしている臨也が静雄の部屋を先に訪れ、そこで静雄の帰りを待つ。
 静雄は借金の回収業という仕事柄、帰る時間がまちまちである。夕方終わることもあれば深夜になることもある。だが深夜になる原因は仕事の時もあるけれども、大抵は仕事帰りに上司である田中トムと食事をしてくるせいで、それが臨也には面白くない。
 一人ぽつんと部屋で待っている臨也のことを考えろという訳じゃない。それは自分が好きでやっていることだからいいのだ、そうではなくて、トムと食事、というのが気に食わないのだ。
 静雄は中学時代の先輩であり現在の仕事を紹介してくれたトムを全面的に信用しているようだが、臨也からすれば愛しの恋人に懐かれている、ちょっと食えない男、という印象だ。
 静雄に対して不埒な考えは持っていないようだが、静雄のことを誰よりもわかっているのは俺だという自負があるのではないかと思う。それが気に食わない。
 何だよお前なんかシズちゃんのあんな姿やこんな姿知らないだろバーカバーカ、と言ってやりたいのは山々だが、それも何だか子供扱いされそうな気がして言えやしない。それに、臨也だってつい最近知ったばかりの、静雄のあんな姿やこんな姿は誰にも見せたくないし言いたくない、という気持ちもある。
 キスをすればすごく気持ち良さそうに目をとろんとさせるところだとか。
 感じる部分を舌で辿ればどうしたらいいのかわからないとでも言いたげに唇を噛み締めるところだとか。
 だけれども身体は正直で、勃ち上がってはしたなく震えるそれを、恥ずかしそうに隠そうとする姿だとか。
 最中に臨也の名前を呼ぶ声が、どれほど甘く響くのか、とか。
 ねえねえ聞いて、シズちゃんってすっごいセックスの時可愛いんだよ、と誰彼構わず言って回りたい気持ちと、自分だけの胸に仕舞っておきたいという気持ちがせめぎあい、結局臨也は誰にもそれを言えずにいる。
 確かにトムに向かって結婚式には呼ぶよと言ったのはついこの間の話で、その時は静雄とのラブラブっぷりを是非とも見せつけてやりたいと思っていたのだが、それとこれとは意味が違うのだ。
 ちらりと携帯電話の画面を確認する。時刻は十八時三十分。早い日はそろそろ仕事が終わってもいい時間、だが。
「またトムさんとご飯食べて帰ってきたりするのかなあ……」
 だとすればあと二時間は帰ってこないだろう。暇を持て余すということはあまりなく、時間が空いたら空いたでそれなりに一人で時間を潰す術は持っている臨也だが、静雄がもうすぐ帰ってくると思いながら潰す時間と、まだ当分は帰ってこないだろうと思いながら潰す時間とでは体感時間が全く異なる。
 かといってどうすることもできず、仕方なく臨也は携帯電話を操作してネット上を彷徨い始めた。幾つかの掲示板を覗き、読み流しては書き込み、また別のサイトへ。必要な情報だけを抽出して頭の中で整理し、重要なポイントはメールで自宅のパソコンへと送っておく。
 暫くそうして過ごしていると、このアパートの階段を、誰かが上ってくる音が聞こえた。カンカンと金属製の階段を打ち鳴らし、それからコンクリートの廊下をコツコツとこちらに近づいてくる。
 玄関の鍵を開ける音がして、臨也は携帯電話を閉じて立ち上がった。扉が開くと同時に、臨也は居室から台所へと続く廊下に顔を出す。
「おかえり、シズちゃん」
「…………おう」
 臨也の顔を見ても静雄は驚いたりしない。どうやって入ったとも、何でいるんだとも言わない。臨也と静雄が付き合い始めて二ヶ月、最初の数週間は臨也の顔を見るなり物を投げられたり舌打ちされたりもしていたけれども、ここ一ヶ月ほどは静雄もいい加減慣れたらしく、まるで臨也が静雄の帰りを待っているのが当たり前かのような反応だ。
「晩御飯食べた?」
「あー、仕事終わり際に……軽く」
「そう。トムさんと?」
「ああ」
 やっぱり田中トムだ。
 内心で舌打ちをしながらも、それを顔には出さない。いちいちこんなことで怒っていては身がもたないし、口出しすれば静雄の怒りを買うことがわかっているからだ。
 それでも、これだけは言いたかった。
「ねえシズちゃん、今日が何の日かわかる?」

[20110104] ◆TOP