調子外れのラブソング/本文6ページ目より抜粋
折原臨也と平和島静雄の部屋の冷凍庫には、赤と白のパッケージが所狭しと並んでいる。中身はバニラアイスをチョコレートでコーティングした、円錐型の先端を切り取ったような形をしている有名なアイスだ。グラス・オ・ショコラという名前で有名洋菓子店で売っているものも同じ製造元が作っている。
しかしここで重要なのは、コンビニで売っているそれより有名洋菓子店で売っているものの方が幾分値が高いのは個包装のせいなのかブランドのせいなのかという臨也の好きそうな経済理論ではない。そのアイスがぎっしりと詰め込まれた冷凍庫がある場所が、臨也の部屋でもなく、静雄の部屋でもなく、臨也と静雄の部屋であるという点にある。
池袋の高層マンションの最上階より一つ下、つまり臨也の事務所の真下に二人は住んでいる。
ここで暮らすようになってから二週間、今までは毎日静雄が仕事帰りに向かいのコンビニでアイスを買ってきていたのだが、仕事で遅くなったりすると売り切れている場合があり、結果静雄の機嫌が急降下することを恐れた臨也がどういう伝手を使ったのか、ダンボール箱単位でまとめ買いをした。お陰で冷凍庫の殆どをアイスが占領していて、コンビニでアイスを選ぶ仕事帰りのささやかな楽しみはなくなってしまったが、疲れている時に売り切れという憂き目に遭い、他のコンビニまで足を伸ばす必要がなくなったのはいいことだと静雄も満足している。
ディンプル式の鍵で玄関を開け、靴を脱いで廊下を歩き、扉を開けばもうそこはリビングだ。黒の三人掛けのゆったりとしたソファに誰も座っていないのを横目で確認しながら、続きのダイニングからキッチンに入り、天井近くまである大きな冷蔵庫の下、引き出し式の冷凍庫を開けた静雄は、今日もぎっしりと詰め込まれた赤と白のパッケージを見て僅かに逡巡し、その上から二つ目を手に取った。ぺりぺりとビニール包装を剥がしながら、はて、と首を傾げる。
静雄が仕事から帰ってきたというのに、出迎えがないというのは珍しい。
玄関まで迎えに出ることは稀であっても、静雄がキッチンに入る頃には、おかえりと声が掛かるのが常だ。だがいつも臨也が静雄を待っているソファには誰もおらず、自室に篭っているとしても玄関が開く音は聞こえるはずである。手が離せなくても声くらいは掛けてくるだろうと思っていたのに、部屋はしんと静まり返っている。
何だいねえのか、と呟いて、静雄は手の中の箱に目を落とした。
この箱を開ける時、臨也は大抵静雄の近くにいる。一箱に六粒のチョココーティングされたバニラアイスが入っているのだが、どれくらいの確率なのか、ランダムにハート型や星型が混じっていることがある。中学時代の先輩であり現在の仕事の上司である田中トムからその話を聞き、それぞれ幸せのピノ、願いのピノと呼ばれるそれを見てみたくてこのアイスを買い始めたのだ。
その頃には既に臨也と静雄は付き合っていて、静雄が以前住んでいたアパートの鍵を勝手に抉じ開けて臨也が部屋で待っていることに文句を言いながら、星が出ただのハートが出ただのと大騒ぎをしていた。
一日に何箱もアイスを食べる静雄を心配した臨也が、ピノは一日一箱まで、という制限を課したのは付き合って数週間経った頃だったか。一箱を半分ずつ食べることにして、願いのピノと呼ばれる星型のピノが出れば臨也の『お願い』を一つ聞くという約束もさせられた。
思えば臨也と静雄の関係が同じ部屋に住む、いわゆる同棲と呼ばれる関係に至ったのはその星型やハート型のアイスによるところが大きいとも言えるだろう。
今だって二人の関係は一日一箱と決められたそのアイスの中に星やハートが入っているかによって大きく流れが異なってくる。だからこそ臨也はいつも静雄がその箱を開けるのを隣で見ていることが殆どで、静雄が一人きりでこの箱を開けたことなど数えるくらいしかない。
静雄は僅かに口元をへの字に曲げ、ビニール包装を剥がしただけのパッケージを冷凍庫に戻した。
別に臨也を待っているわけではない。ほんの少し、気が乗らなかっただけだ。
後で開けるぞ後で、と誰に言うでもなく呟いて、ソファに身体を投げ出す。
3LDKの部屋はまだ家具が少なく、リビングはがらんとしている。正面に据え置かれた五十二型の液晶テレビのリモコンを手に取り、適当にチャンネルをザッピングした。しかし静雄の興味を惹くような番組はなく、すぐに電源を切ってリモコンを投げ出す。
静かだ。臨也がいないというだけでまるで世界に静雄一人きりであるかのような錯覚を引き起こす。
この部屋こんなに静かだったんだな、と静雄はこの部屋に移り住んだきっかけを思い起こしていた。