間章の遥人君編について
喝采で結構衝撃だったのが、間章の遥人君部分、「東京に行った時にしか会えないけど」発言で、えええ臨也さん東京に来てるの?!って思ってたんですが。
「池袋に行った」とは書いてないから、池袋以外に行ったのかな?そこで美影ちゃんたちに会ったのかな?て思ったりもしたけど、臨焼けで臨也さんが「美影ちゃんと木根さんは池袋から出ない」て言ってるし、遥人君たちが池袋に行ったのは確かなんですよね。
じゃあ臨也さんも池袋に行ったの?て思ったんだけど、よく考えたら臨也さんが一緒に行ったとは書いてないし、そもそも遥人君たちと臨也さんが常に一緒にいるわけじゃない。
臨焼け冒頭部分の臨也さんが山小屋にいるシーンでは、臨也さんは一人っきりっぽいし、坐さんと遥人ひまりを呼ぼうとしてるので、遥人ひまりと知り合ってからも離れる期間はあったりするんだろうなって。
「1年前」の時点で既に遥人君たちとは知り合っていて、色々手伝いとかもしている。そして臨焼けが梅雨時で喝采が10月上旬なので、臨焼けの武野倉市の事件の直前には遥人君たちと臨也さんは離れていたわけですよね。
なので遥人君たちが「学校に行かなくていい」状態になった後も、臨也さんと離れることはあったわけで、この離れてる期間(つまり臨焼けの直前)とかに池袋に遥人君たちが行ったのかなあと思いました。
というわけで臨也さんは未だに池袋の地を踏んでいない説を主張すると共に、池袋に行った遥人ひまりが楽影ジムでクルマイと会ったりとか、街中で静雄とニアミスしてたりしたらイイネ!て思います。
承認欲求について続きっぽいもの
まあ1日空けて読み返したら実に都合のいい解釈しようとしてるなあって我ながら笑ってしまったので、改めて考えてみます。
イザシズ的解釈だけど、臨也さんにとって静雄は「俺とは全く違う化け物」ではあるんだけど、実は同属嫌悪的な部分が強いんじゃないかと思っている。
同じだけど、違う。二人とも孤高の存在なんだけど、立ち移置が違う。同じ高さ(=普通の人間からの距離の遠さ)にはいるけど、山が二つあってそれぞれがその頂上に一人で立ってるみたいな。
喝采の夏瓦の台詞がどこまで事実なのかは不明だけど、少なくとも臨也も言われなくてもわかっているという部分から、「他人に喝采を送る同類は周りにはいない」という部分だけは事実であると思われる。
確かに他人に喝采を送るような人間は臨也の周りにはいない。それを欲しがるというのは、臨也は他人に喝采を送る自分を認めて欲しいのではないか。
自分を承認できない臨也は他人に承認してもらうしかなく、他人に喝采を送る自分を他人に認めてもらうことによって、初めて自分の承認欲求が満たされることになる。
同類を求めているけどその同類が存在しない以上、じゃあどうすれば臨也の承認欲求はそこそこ満足するのかというと、「他人に喝采を送る臨也を、同じようには振る舞わないけれどもまあそれもいいんじゃない?って言ってくれる人間が現れたらいい」のではないかと。
自分で自分を承認できない以上、他人に承認を求めるしかなく、同じように自分を承認できない静雄は臨也にとって同類になり得る存在だった。
でも臨也は自分を承認することを諦めているのに対し、静雄は自分を承認することを求めていた。だから臨也は静雄が自分を承認できないように、静雄を化け物扱いした。
だけど結局、静雄はリッパーナイトや13巻を経て自分や他人から承認を得てしまい、臨也は同類を得る機会を失ったのではないだろうか。
静雄が自己承認してしまったのは臨也にとっては裏切りで、だから臨也は自分を承認できないまま、孤独を思い知らされた池袋を捨てたのかなとか。
臨也と静雄、そしてデュラハンその他諸々の異分子たちが「異質」として存在していた池袋で、結論として自分だけが「異質」であると感じ、池袋を出たのではないか。
ただ静雄が孤独でなくなったかというとそうでもなく、臨也は孤高であり続けるけれども静雄は孤高ではなくなったけれど孤独なままで、結局全てを受け入れることはできてない(ここは予想でしかない、SH以降静雄の出番少ないから。でも、将来の不安とかを口にするのは、このままでいいやとは思えてないのだろう)。
結局お互いがいれば全て丸く収まる、安定する、というような形にはなれないけど、互いに互いの不足部分を埋め合って互いがいなければ生きていけない、という形ではあるんだろうなとか。
二人で一つ、二人でやっと完全体、みたいなこと私は言いたがるけど、やっぱり二人でいるからって確固たる二つの存在にはなれないんだけど、二人でいることでやっとぐらぐらしていた足元に土台が出来て、欠けたままの部分が埋まらなくても支えができて、二人合わせて1.5人分、みたいな感じになれるんじゃないかなと思う。
臨也さんの承認欲求についての仮説
臨也は自分で自分を賞賛できない。
自分を心の底から褒めることができない。
ということは、臨也が共感を覚えるのは臨也を賞賛しない人間であり、自分自身を賞賛できない人間である。
臨也は自分の同類を欲している。他人に対して喝采を送ることができる人間だと夏瓦は言うけれども、要するに「自分自身と臨也を賞賛しない人間」であれば臨也は共感を覚えるのではないだろうか。
そういう人間が承認欲求を満たす代替行為にするのが「他人に対して喝采を送る」ことであり、その行為自体にさほど意味はないようにも思う。
臨也にとって、臨也を賞賛する人間は自分の求めるものとは違うものを与えてくる人間であり、臨也を賞賛しない人間は、自分を暴いてしまうから臨也を賞賛しない、すなわち臨也を否定することで自分を承認しようとする人間なのではないだろうか。
ここからイザシズ妄想だけど、臨也は静雄を「化け物」だと断じ、静雄の承認欲求を邪魔しようとしたのではないか。静雄に同類でいて欲しかったから。
そして13巻を経て静雄が自分を承認できるようになったと感じ、静雄は自分の同類ではないと判断して「同類だと信じていたのに裏切られた」と感じたからこそ、静雄の存在がトラウマになっているのではないだろうか。
だが静雄は、自分を認めることができるようになったものの、自分を賞賛するにまでは至っていない。
すなわち、「自分自身を賞賛しない人間」であることには変わりがない。
じゃあ静雄と臨也が再び出会ったとして、静雄は臨也のことが嫌いなままだろうから、「臨也を賞賛しない人間」であると言える。
ならば静雄は臨也の求める「自分自身と臨也を賞賛しない人間」であるとして、臨也の唯一になれるんじゃないだろうか。
例えば波江や新羅に対して信頼を置くのは、波江や新羅が「臨也を賞賛しない人間」であるからで、ただしそれ以上の存在になれないのは、波江や新羅が「他人を愛することができる=他人を愛することで自分の存在意義、すなわち承認欲求を満たしている人間」であるからではないだろうか。
なので、「臨也を賞賛しない」かつ、「他人を愛することで承認欲求を満たすことができない」静雄ってとても!臨也に近いところにいるんじゃないのかな?!
喝采読みました!
とりあえず以下に箇条書きでつらつらと感想を…
ネタバレだよ
・車椅子300万か〜…
・左利き?!マジで?!なんかそれ超萌えますね?!
・話によっては凄く無知になる臨也さん素晴らしいです
・遥人君が学校行かなくてもずっと臨也さんが勉強教えてくれるってことは、臨也さんと遥人・ひまりはいつも一緒にいるってことかな?
・え…っ?美影ちゃんに遥人君が会ってるってことは、臨也さん池袋にも行ってるの…?????
・アイスでワクワクするのは臨也さんの考えなのか人間観察の結果導き出した結論なのか知りたい
・ホストの雰囲気を持つ臨也さん
・バーテン服に動揺する臨也さん
・烏龍茶をわざわざカクテルグラスに入れてもらうのは何故なの
・つまり今臨也さんの所持してたデータの管理をしているのはネクちゃんなのかな?
・上辺だけ整った5歳児
・怖がってリハビリしない臨也さん…
・人間にますます執着する臨也さん
・本気で一人の人間を愛したら悪になる臨也さん…
・自分の趣味のためなら結構子供たちのことどうでもよくなる臨也さん
・臨也さん、マジで脊髄とか痛めてるんだね…臨焼けでの「痛いのを我慢すれば足も組める」っていうのは臨也さんの台詞だったから、ブラフの可能性もあるなって思ってたけど、地の文でああ書かれてるとマジで痛いんだなって…
・臼原と静雄を重ねる臨也さん
・波江さんをいちばん信頼してたのか〜!
・車椅子の特注ギミック気になる
・そしてやっぱり臼原と静雄を重ねる臨也さん…
・承認欲求はあっても自分を賞賛することができず、つまり自分を承認できない臨也さんは、自分と同じ目線の同類を欲しているけれども、それは自分を承認できない臨也さんの承認欲求に対する代替行為に過ぎないとしたら、要するに「自分を承認できない」人間であればよく、それはすなわち静雄でもいいんじゃないか?
・静雄が人間の中で居場所を見つけて、自分を承認するようになったからこそ、臨也は孤独になってしまったのではないか?
・とにかくもう最初から最後まで萌えすぎて発狂しそうになったしとりあえず坐さん最高最高